金蓮迷々
呼吸と瞬きとを止めた蝋人形の如き面持ちで、へし切長谷部は巻き付けた晒布が解かれてゆくのを見つめていた。
しなやかに鍛えられた指に絡み付くそれはへし切長谷部が手ずから濯いで整えた木綿のもので、数日前までは陽光にかざせば輝くほどの美しさだった。無論その色は純白そのもので、汚れも滲みもひとつとしてない。少なくとも数日前までは。
何かを割るような音がした。固まっていた何かを引き割って、無理矢理に剥がしてゆく時の音。凝固した血液と膿に塗れた布を、燭台切光忠が些か力任せに解いてゆく。皮まで剥けるぞと諌めかけてへし切長谷部は唇を閉じた。そうだ、彼のこの足はもう癒えている。
全てが朧気な灯火の下に曝け出された後、燭台切光忠は黙って布と己の足から視線を逸らした。嫌だ。見たくない。見せたくない。布を解く前に散々吐き出した言葉を尚も無言で投げつけ続けている。だがへし切長谷部は既にそれを一切受け入れぬと決めていた。そうでなければ見目に拘る彼の、この数日に及ぶ拷問の果てに得たものを賞美することはできない。
現れたのは正しく奇形であった。足の指は親指を残して内側へと収められ、愛馬の蹄を思わせる程に柔らかく尖っている。その甲は弦月を模して骨から押し縮めてあり、皮膚同士が重なり癒着した土踏まずからは仄かに彼自身の血と肉の香がする。捻じ曲げられた為に移動器官としての機能を損なっているのは最早疑いようもない。今この場を辞して立ち上がったとしても、鍛えられた男の身体を支えるには至らないだろう。
嘆怒と羞恥に震えるそれを、へし切長谷部は躊躇なく手中に握りこんだ。刀を扱うべく誂えられた大きさの内に易々と収まる。目測だが恐らくは四寸もない。充分だ。具合を確かめるように緩く力を込めると、燭台切光忠の上半身も呼応して震えた。折れてはいない。しかしこの足を砕いて固めたのは、紛う事無くへし切長谷部自身であった。
何をしたのかまではっきりと記憶している。嫌だと泣いて懇願する燭台切光忠を押さえつけるようにして、その足に布を巻き付けた。本来の稼動域を超えて関節を圧迫し、皮膚ごと神経を捩じり切り、肉の外へまで体液を滲み出させた。
粉々になった骨と化膿を始めた肉を見届けてから手入れ部屋へ入れた。人ならば生の幾分かをかけるものが短縮出来るのではないかという打算、もうひとつには激痛を訴える燭台切光忠が自ら対処しようとするのを未然に防ぐ為である。自分の過失で傷をつけてしまった、念のため修復を、と頼むと、主君への篤忠を重々承知している審神者はあっさりとそれを許可した。結果として全てはへし切長谷部の思うままになった。
掌全体を使って握り込み、親指の先で重なった皮膚の間を探るように愛撫する。爪を立てると身を震わせたのか振動が伝わってきた。これが燭台切光忠か、と不意に思った。かの人も愛でた長船派の業物に、人の身体がついているのをいいことに、へし切長谷部が今このような無体を働いている。事実を反芻する度、虚無にも似た悦楽が総身を駆け上ってゆくのを感じていた。
いやだ、という声がした。先刻までのそれではない、意思をもって肺から喉へ紡ぎ出された声である。変わらず俯いて瞼を閉じたまま、燭台切光忠はもう一度嫌だと言った。
痛みが抜けていないのかと込めた力を抜いてみるが反応は軽い身じろぎもない。それならばと玩弄を再開しても、噛み締めた唇からは苦鳴が漏れることはなかった。代わりに仄かな艶熱が鼻を抜けて響く。
不快でないのなら問題ない。へし切長谷部はおもむろに手にしたものを持ち上げると、花弁の形に整えられた爪先へ囓りついた。予期せぬ刺激に燭台切光忠が瞳を見開いて驚愕する。その黄玉を、紫晶が逃さず正面から縫い止めた。
一度捉えてしまった視線を、認識してしまった事実を、振り切る力が燭台切光忠にはない。幾度も脳裏で異形の肉が嬲られる度、蓮足が眼底で空を蹴る度、燭台切光忠は上気した頭を弱々しく振り、掠れた声で拒絶の言葉を吐いた。
「何が嫌だ」
踝から脹脛、膝裏、太腿と舐め上げながら問う。指の裏を抉りながら尻朶を撫でると悲鳴に近い嬌声があがった。纏足を施した足は跨が歪んで具合が良くなると聞くが、つい今朝方これを得たばかりの身では未だ持ち合わせてはいまい。急かずとも、付喪神には時の流れなど瑣末なものだ。いずれ燭台切光忠も、自身のこれを美しいと言う日が来るだろうか。湯の如く沸き立つ期待に身を任せ、手の中の妙品を労るように包み込んだ。
嫌だ、と彼が言う。何が嫌だと問い返す。
「いやだ、あし、こんなあし、いやだ、かっこよくない、みせたくないよ、長谷部君」
へし切長谷部は燭台切光忠から一切の手を引くと、改めて金蓮を持ち上げ、恭しくその甲へ口付けた。
「だがこれはお前の足だ」
「は、」
ひどいよ君は、と、呟いた声は嗤っていた。
フォロワーさんの特殊性癖アンソロジーに寄稿したものです。