水琴窟
新商品だ。いつも通りに確認をしておけ。明日の夜には大口客が来るから、それまでに終わらせろ。
興行主でもある審神者がそう言って連れて来たのは、幼子のように怯えて縮こまった三日月宗近であった。申し訳ばかりの枷と鎖、所在を伏せるための目隠しばかりで、特に脅しも拘束もされていないというのに、審神者の腕に背を押されただけでその場に倒れ込みそうなほど震え上がっている。さては戦に出たことがないな、と大包平は推測した。人の身のいろは、刀剣男士のいろはも知らないまま、本丸に不要として売り飛ばされたのだ。
理由は幾つも思い付くが、大包平には関係がない。大包平の仕事は主に命じられた通り、明日までにこの三日月宗近の《商品》としての価値を確認することだけだ。
「此方へ来い」
声を掛けると、三日月宗近はおずおずと此方へ顔を向けた。微妙に大包平の立ち位置とずれている。やはりまだ顕現して間もない。戦闘に必要な感覚も人間と同等かそれ以下だろう。
「此方だ」
枷の上から手首を掴むと、驚いたのか大きく肩を震わせる。その震え方で、大包平は三日月宗近の感覚を測った。これも予想はしていたが、初心だ。此処に刀剣男士を買いに来る者達が求めるような用途は、恐らく経験どころか想像も見聞きもしたことがない。
であれば。このまま客の前に出したところで商品価値は上がらない。他に出来ることはないか、眠っている素質はないか、多少確かめて付け加えておいた方が、審神者は喜ぶだろう。
戸惑う三日月宗近の手を引き、近くの一室へ入る。目隠しが透けない程度に薄く灯りを点け、燐寸を擦って香炉に火を入れた。緩い催淫効果のある香だ。嗅ぎ慣れた大包平には効果の薄いものだが、この初心な三日月宗近にはそれなりに効くだろう。
布団を敷いた部屋中央に三日月宗近を座らせ、首元の飾りを外して軽く触れる。丸まったままの背がまたびくりと震えた。息を呑むような音が同時に聞こえた辺り、恐怖や驚きばかりではないらしい。再び首筋から顎、鎖骨と撫でていくと、更に震えが大きくなった。鎖の鳴る微かな音がする。
感度は悪くないな、と幾度か繰り返して撫でながら考える。もとの感度が良ければ、その後は競り落とした側がどうとでもする。この警戒より怯えが先に立つ三日月宗近の性を思うと、哀憐の情が湧かないでもないが。
暫くそうしていると、香を吸ったのか暗がりの中で少しずつ三日月宗近の頬が上気していくのが分かった。呼吸が浅く早くなり、泣き出しそうな吐息に少しずつ濡れた色が混ざり始める。
そろそろか。身を乗り出し、確認のつもりで三日月宗近に囁きかけた。
「気分はどうだ」
「っひ……!」
びくり。今までになく大きな反応があった。恐怖でも驚愕でもない。香の影響もあるだろうとはいえ、芯まで色に染まった甘い悲鳴であった。
三日月宗近自身、自分の反応に驚いたらしく、口元を押さえて俯いている。頬と耳が羞恥で更に赤く染まっていくのが分かる。
「成程、お前は、耳が弱いんだな」
再び、今度は意図的に、低く近く吹き込む。
反射的に逃げようとする身体を抱きすくめ、こうされると興奮するか、と濡れた吐息で煽る。反対の耳には指を回して、円を描くように耳の縁を撫でる。三日月宗近が静かに背筋を粟立たせているのが腕から伝わって来た。やはり悪くない素材だ。この旨は出品の際に特記しておかねばなるまい。少しばかり下拵えをしてやる心算で、大包平は責める手を少し激しくした。
片耳は手で塞ぐようにしながら愛撫を続け、もう片方は態と唾液の音をたてながら舐る。耳と聴覚からくる快楽をじっくり刻み込んでやろうとした。どうせなら下も少し見ておいた方が良いかと、袴の紐に手を掛けた途端。
ぐすん、と幼子のような啜り泣きが大包平の耳へ届いた。
「おい、待て、お前」
慌てて目隠しを外し、様子を窺う。宵色の瞳は涙ですっかり潤んでいた。淫熱からくるであろうそれを遥かに超えて、早くも水面から溢れ出しそうになっている。
「泣くほど嫌なのに抵抗もしなかったのか」
思わず呆れた声が出たが、三日月宗近は緩くかぶりを振って、ちがう、と微かな声で答えた。
「いやでは、ない」
「では何だ」
嫌でもないのに悦がり泣き以外の涙が出るものか。言い放とうとしたところで、この三日月宗近には通じまいと寸でで飲み込んだ。ともあれ、大包平には解らない何かしらの理由があるのだ。それを述べるのを待つしかない。
三日月宗近は猶も数度しゃくり上げてから、途切れ途切れに語り出した。
「おまえ、が、触れてくれて、うれしかった。本丸を出てから、おれにいっとう優しく触れたのが、おまえだ。おまえが求めるなら、何でもうけいれようと思った。それなのに、おまえが触れると、おれのからだはどんどんおかしくなって、かってに、あつくなって……こんな浅ましい姿を、おまえに見せていると、呆れられてしまうとおもったら、辛くて」
「………………は」
馬鹿か、お前は。今度は飲み込もうにも言葉が出てこなかった。
お前は俺が何をやっていたか気付いていないのか。何のためにしていたか知らないのか。俺に触れられて、その後どうなるかも、何一つ。
自問し、そして自ら肯定して、大包平は結局黙り込んだ。この刀は知らないのだ。自身が優しいと言ったものの手は、もう半日もあれば永久に己から離れていくものだと。離されたその先で、自身がどんな目に遭うのかも。慰み者にするために買われる刀には、優しさなど遠いものになるのだとも。
知らずに、ただ己の心一つを憂いて泣いているのだ。この刀は。
大包平は三日月宗近を抱きすくめたまま、深く深く息を吐いた。耳元であったので三日月宗近がまたびくりと背を跳ねさせたが、そんなことは最早些細なことだった。
「俺がお前に呆れたりなどするものか」
一言だけ言って、傍らの毛布を一枚かけ、しばらく寝ていろと言って布団の上に転がした。そうして部屋を後にした。三日月宗近は濡れた瞳を丸く見開いてそれを見送った。
廊下には審神者が待っていて、どうだった、と尋ねて来た。三日月宗近を連れて来たのは審神者である。恐らく例の性質について知っていて、気にしているのだろう。大包平同様に。否、今の大包平とは全く違う方向で。
「主」
大包平は至極真面目な顔でそれに向き合った。
「幾らかかっても構わん。あの三日月宗近を俺に引き取らせてくれ」
フォロワーさんからオークションで!と言われたので張り切ったやつ。