下原三丁目

無垢

 死んだ祖母が腹の上で居眠りをしている夢で目が覚めた。
 明瞭になった視界には夜明け時分の自室と白い人影が写り込んでいたので、若し後者が見慣れた人物の姿をしていなければ自分は即座に悲鳴をあげていたに違いない。
 幸いにして先方はそれに恐怖するどころか驚かせてやったと歓喜するような存在であったが。
 朝っぱらから人の腹の上で何をしているのかを問うと、鶴丸国永は目深に被った羽織帽の下から目を輝かせて笑った。
「君の嫁になりに来た」
 咎めはしないが何とも奇妙な――彼自身は時にこれを『トンチキ』と形容する――時機を見計らってきたものだ。とはいえ彼のこのような行動も『トンチキ』な提案も今回に限ったものではない。意外さでこちらを驚愕、ないしは拍子抜けさせることは、元より彼の望むところであった。
 故に今回の発言もまたその一環と判断できる。判断した以上最適な行動は、彼の意に添わぬ反応をし続け興味を損なわせるか、或いは逆に期待通りの反応を見せて満足させるかだ。こちらが不利な体勢にある以上、彼の不興を買って悪戯を追加されるような状況は好ましくない。大人しく望むものを与えてやるのがいいだろう。
 すなわち、「いきなりそんなことを言い出すとは驚いた」という一言である。
 反応を受け取った鶴丸国永は刹那の間身体を震わせて硬直し、それから少々目を細めてこちらを睨んだ。
「言い出しちゃあいけなかったか」
 否定した覚えはないが、どうやら先方はそのように感じたらしい。
 機嫌を損ねるのは本意ではないので慌てて否定し、訂正する。嫌悪感はなく、ただ純粋に鶴丸国永が早朝自分の部屋で唐突に「嫁になりにきた」などという言葉を発したことが意外で、理由を知りたく思った。
 そう伝えると鶴丸国永の表情は些か和らぎ、次には僅かな頬の紅潮と共に小声で何事かを呟いて来た。
「唐突でもないさ、ずっと考えていたんだ。言いだす切っ掛けを探していただけでな」
 探していたと過去形で言ったということは、昨今その切っ掛けを掴んだのだろう。指摘すると「実は昨日」と言い淀み、昨夜の酒宴で自らの装束を婚礼衣装のようだと囃したてられたことに始まると答えた。残念ながらこちらには酒精のお陰かほぼ記憶がない。
 切っ掛けについての情報はそれきりだったので、時間帯と場所の選択は、どうせ思い切ったことを告げるなら少しでも驚きをという彼の性格がそうさせたものと推測した。
「それで君の答えはどうだい?」
 言葉と同時に、鳩尾へ鶴丸国永の膝が乗った。望む答えを弾き出さねば危害を加えるという脅しである。曲がり形にも主君を相手に無体など出来るとは思えないが、多少趣味の悪い児戯という程度であれば、この無邪気でない刀は容易くそれをやってのけるだろう。高々一振りの太刀をあしらう為に、朝食一つ悠々と摂れないような報復を受けたくはない。
 嫁でも何でもいいから早々にそこを退いて朝の勤めに就け。
 そう言うと鶴丸国永は満面に喜色を湛えて、あっさりと腹の上から降りた。今日は期待していろ、という意味深な置き土産つきである。
 期待とは、無意味に痛めつけられずに済んだ内臓に流し込む朝食のことだろうか。それともその舞い上がった士気が生み出す戦勝だろうか。良い結果になるのならそれで結構だ。
 跳ねるように廊下を去っていく足音を見送り、更に数分を布団の中でまごついてから、朝食を摂るために身支度を整えて自分自身も廊下へ出る。途中で農具を抱えた三日月宗近とすれ違った。
 すれ違いざまに何事かを呟かれた気がして振り返ると、三日月宗近もこちらへ向き直っていて、今度は明瞭に一言「些か軽率だな」と言われた。
「あやつのことだ、強引に迫ったのだろうが……ああいった類の申し出は迂闊に受けぬ方がよい」
 続けてこの忠告である。先刻の会話を聞かれていたのか。否、三日月宗近は廊下の向こうからやってきたのだ。恐らく会話の段階で距離は十分に離れていた。だが、鶴丸国永を嫁にすると承諾したことが一目で分かるものだろうか。
 三日月宗近は黙って農具を抱え直すと、「まあ俺からは一言くらいしか言えることがないが」と言ってまた身体を廊下の向こうへ向けた。最後に首だけ振り向いて、

「鶴は永劫つがいから離れぬぞ」


審神者は神様の生態に疎いか異様に詳しいかが多い気がする。